忍岡古墳の墳丘へ上がる忍陵神社東側の鳥居

古墳の上に鎮座する、忍ケ丘の古社

忍岡古墳と忍陵神社。1700年の墓と祈りが重なる丘。

前方後円墳、竪穴式石室、式内社、二社の合祀。鳥居をくぐった先に何が残り、何を祀り、何を願う場所なのかを、考古学と神社の由緒を分けて解説します。

Photo: Nankou Oronain · CC BY-SA 3.0

最初に分けて知る

古墳と神社は、同じ場所にある別の歴史。

忍岡古墳は古墳時代前期に築かれた墓です。忍陵神社は、後世にこの丘へ鎮座し、複数の神社を合祀して現在の姿になりました。「神社のために古墳を造った」のではありません。

古墳
3世紀末~4世紀初頭と考えられる、全長約87mの前方後円墳
埋葬施設
後円部の竪穴式石室。赤色顔料と多様な副葬品が確認された
神社
津桙大神など五柱を祀る。1911年に合祀・改称
現在
社殿横の覆い屋から、北河内で唯一公開される竪穴式石室を見学できる

形をつかむ概念図

全長約87m。丘の高まり自体が古墳です。

住宅地と神社の境内になっているため、現地で前方後円墳の輪郭を一目で捉えるのは簡単ではありません。鳥居から高い場所へ上がる地形、後円部に置かれた社殿、社殿横の石室覆い屋を順に見ると、古墳の立体感を理解しやすくなります。

※図は位置関係を説明する当サイト制作の概念図で、測量図ではありません。

古墳時代前期の北河内

刀剣、冑、農工具、腕輪。副葬品が語る有力者の姿。

被葬者の実名は分かりません。しかし、墳丘の大きさ、竪穴式石室、副葬品から、当時の地域社会を率いた首長層の墓であった可能性が見えてきます。

01

碧玉製の装身具

石釧、鍬形石、紡錘車などが見つかりました。石製品には水銀朱の付着も確認されています。

02

武器と防具

鉄製の剣・刀と冑の破片。武力や身分を示す副葬品として、被葬者の社会的な位置を考える手掛かりです。

03

鎌と斧

農耕や開発に関わる鉄製品も出土しました。装身具だけでなく、生産を支配した人物像も想像できます。

04

赤く塗られた空間

石室の石材にはベンガラ、石製品には水銀朱が使い分けられていました。埋葬の場を特別な色で整えた痕跡です。

石段の上に建つ忍陵神社の社殿
Photo: Maechan0360 · CC BY-SA 3.0

式内社から現在の忍陵神社へ

一つの神社ではなく、地域の氏神が重なってきた。

大阪府神社庁第三支部は、忍陵神社の前身を当地の豪族・津桙氏の氏神と説明します。927年成立の『延喜式神名帳』には、河内国讃良郡の津桙神社として記載されています。

神社に伝わる江戸期の縁起では、熊野皇大神や藤原鎌足公を祀ってきた経緯が語られます。1911年、砂東村の馬守社と砂西村の大将軍社を合祀し、丘の名にちなみ忍陵神社へ改称されました。

津桙大神
当地の豪族・津桙氏の氏神として伝わる
熊野皇大神
神社縁起では熊野三山から勧請したとされる
藤原鎌足公
神社縁起では鎌足大明神として祀ったとされる
馬守大神
1911年に馬守社から合祀
大将軍神
1911年に大将軍社から合祀

場所の時間をたどる

古墳、式内社、戦国、台風、発掘へ。

  1. 忍岡古墳を築造

    忍ケ岡丘陵の先端に、全長約87mの前方後円墳が築かれます。

  2. 『延喜式神名帳』に津桙神社

    忍陵神社の前身とされる津桙神社が、河内国讃良郡の式内社として記録されます。

  3. 岡山キリシタンの記録

    神社庁第三支部の由緒では、この地に教会があった記述が紹介されています。

  4. 大坂夏の陣の本陣

    同じ由緒では、徳川方の本陣が置かれた場所としても伝えられます。

  5. 二社を合祀し、忍陵神社へ

    馬守社と大将軍社を合祀。忍岡の地名にちなむ現在の社名になります。

  6. 台風被害と石室発見

    室戸台風で社殿が倒壊。翌年の再建工事で竪穴式石室が見つかり、京都大学が調査しました。

  7. 大阪府指定史跡へ

    忍岡古墳が府指定史跡となり、石室は覆い屋で保存されています。

公式説明で確認できる信仰

牛馬畜産の守護と、方除。

御祭神の名前から効能を自由に広げず、大阪府神社庁第三支部が明記する範囲を紹介します。

馬守大神

牛馬畜産の神

古くから牛馬畜産の神として崇敬されてきたと説明されています。現代のペット祈願と同じだとは公式資料に書かれていないため、ペットについての祈願を希望する場合は神社へ確認してください。

大将軍神

方除の神

方角から来る災いを避ける「方除」の神として紹介されています。転居、旅行、建築など個別の祈祷を受けられるかは事前確認が必要です。

初めてでも迷わない

参拝は、境内への敬意と一般的な作法で。

忍陵神社独自の参拝作法は、確認した公式公開ページには記載されていません。神社本庁が案内する一般的な順序を基本にします。

  1. 01鳥居の前で一礼

    参道の中央を避け、石段は足元を確認して進みます。

  2. 02手水で清める

    利用できる場合は、手と口を清めてから神前へ進みます。

  3. 03二礼二拍手一礼

    賽銭を納め、二度礼、二度拍手、祈り、最後に一度礼をします。

  4. 04石室は静かに見学

    文化財へ触れず、格子や覆い屋を傷つけないよう見学します。

忍陵神社の鳥居と石段、古墳の高まりへ続く参道
鳥居から石段を上がる高低差も、古墳の丘を感じる手掛かりです。Photo: Nankou Oronain · CC BY-SA 3.0

石室を見たいとき

通常は格子越し。覆い屋の内部見学は1か月前までに申込み。

所在地
大阪府四條畷市岡山2丁目7-12
鉄道
JR忍ケ丘駅から西へ徒歩約10分(市公式)
通常見学
覆い屋の格子越しに竪穴式石室を見学
特別見学
覆い屋内部は文化財課へ1か月前までに申込み。石室内部には入れません
文化財課
072-877-2121/0743-71-0330
神社
072-877-1850。祈祷は予約が必要な場合があります

点で終わらせない

忍ケ丘駅から、古墳・街道・資料館へ。

忍岡古墳だけを短時間で見て帰るのではなく、出土品の背景や周辺の歴史へつなげる歩き方です。

四條畷市内にあるJR忍ケ丘駅
START

JR忍ケ丘駅

市内唯一のJR駅。西へ歩き、住宅地の中の古墳へ向かいます。

駅のMAP
忍岡古墳の墳丘上に建つ忍陵神社の石段と社殿
HISTORY

忍岡古墳・忍陵神社

鳥居、石段、社殿、石室覆い屋の順に歩き、古墳と神社の時代差を確認します。

見どころを再確認
四條畷市立歴史民俗資料館の外観
MUSEUM

四條畷市立歴史民俗資料館

忍岡古墳の出土品は一部が京都大学に保管されています。資料館の当日の展示内容を確認し、市域全体の考古資料と合わせて理解します。

展示・開館情報

古墳と神社を、もっと深く

考古学の調査結果と、神社の伝承を分けて知る。

古墳の被葬者は特定されていません。神社の由来やご利益は伝承・公式案内、古墳の年代や副葬品は発掘調査の資料を手掛かりにすると、両者を混同せず理解できます。資料間で記載が異なる遷座年も、各資料を確認できるようにしています。確認日:2026年8月13日。